知る人ぞ知る!あの人気スポーツブランドはこうして生まれた!

あなたは、何かスポーツをしている、もしくはしていた経験がありますか?
スポーツをするときには、動きやすいスポーツウェアを身に付けますよね。
人それぞれ、好きなスポーツメーカーやブランドがあり、一式そのブランドで揃えている人も少なくないはずです。
現在、身近なスポーツメーカーとして様々なブランドがあります。
その中で今回は、長く多くの人々から愛され、世界中で親しまれているプーマ、ナイキ、アディダスについて、その原点をご紹介したいと思います。
アディダスの始まり
世界的に有名なドイツ生まれのブランド・アディダスは、1949年にドイツ南部のバイエルン州で誕生しました。
最初は兄ルドルフ・ダスラーと弟アドルフ・ダスラーの兄弟が1920年にニュルンベルク郊外に設立した靴製造の会社「ダスラー兄弟商会」という会社でした。
しかし、兄弟はその後それぞれ独立し、弟のアドルフが自分の名前にアドルフとダスラーの最初の文字を取ってアディダスという名前の会社を作ったのが、アディダスの始まりだったのです。
ドイツ生まれのスニーカーブランド・アディダスは、今日では年間売上高が120億ユーロにも及ぶ大企業に成長し、世界屈指のスポーツ用品ブランドとしてスポーツ選手はもちろん、多くの人々に愛されるブランドとして世界中でその名を知られています。
アディダスの3本線のロゴは、エキップメント、スリーバーという別名を持ち、山型の3本線が「上を目指し、ゴールに向かってチャレンジする」というアスリート精神を表現しています。
プーマの始まり
出典元:http://mag.puma.jp/store/osaka/
ドイツ発祥のスポーツメーカーとして有名なブランド、プーマ。
この創業者はルドルフ・ダスラーという人物です。
どこかで聞いたような・・・と思った方、そうです、上記のアディダスの発祥にもこの名前は登場してます。
「ダスラー兄弟商会」として兄弟2人で会社を設立し、質の良いスポーツ用シューズを多く販売しいていましたが、後に兄弟はそれぞれ独立することになります。
ここで、弟のアドルフ・ダスラーが立ち上げたのが、上記にもあるアディダスでした。
一方、兄のルドルフ・ダスラーは、弟のアディダス設立よりも1年早い1948年に現在の「プーマ」というブランドを設立したのです。
プーマは設立した当初は「RUDA」という名前だったのですが、翌年に社名が変更され、現在の「プーマ」となっています。
ヘルシンキ、ローマ、東京オリンピックの陸上競技でプーマのシューズを履いた選手が金メダルを取ったことで、プーマというブランドは順調に大きくなっていきました。
さらに、サッカーのワールドカップでペレやヨハンクライフなどのスター選手がプーマを愛用し、サッカーにおいてもスポーツメーカーとして有名な地位を得るようになります。
その後は幅広いスポーツ製品を扱うようになり、現在では世界的人気を誇るスポーツメーカーとなっています。
ナイキの始まり
スポーツ用品ブランドとして世界トップクラスのひとつとして高い人気、知名度を誇るナイキ。
ナイキは、他の有名ブランドよりも歴史が浅いながらも、印象的な商品やマーケティング、ブランディングにより、比較的短期間でトップブランドに上ったメーカーです。
会社の歴史は、オレゴン大学の陸上中距離走者、フィリップ・ナイトと陸上部コーチのビル・バウワーマンがナイキの前身である「ブルーリボンスポーツ」社を1964年に設立し、始まります。
当初は日本製シューズの輸入販売をしていました。
そして、1971年には社員の夢に出てきたという勝利の女神ニーケーの名前を基にしたナイキブランドとマークを作っています。
この彫像の翼をモチーフにデザインしたスウッシュと呼ぶロゴマークは、今やだれもが知っています。
その後、1972年にワッフルの焼き型をヒントにオリジナルで開発した「ワッフルソール」を採用したシューズがヒットし、1981年には正式にナイキと社名を変更しました。
トップアスリートにナイキのシューズを履いてもらい、その人が活躍することでブランド力を向上させ、創立から短期間でのヒットを成し遂げました。
エア・クッショニングシステムというソールに空気のクッションが入ったシューズも開発し、現在でもナイキの人気は不動のものとなっています。
まとめ
いかがだったでしょうか?
アディダスとプーマの原点が一組の兄弟だったというのには驚きですね。
今やどちらも世界的に人気なブランドとして人々に親しまれています。
このように、誰もが知っている有名ブランドにも意外なルーツがあります。
今回紹介したブランドを身に着け、スポーツを楽しむ際に、ぜひその原点も思い出してみてください。