知れば知るほど面白い!傑作古典落語5選

落語って、“難しそう” “近寄りがたい” イメージがありますよね?
でも、それは間違いなんです。
時代は違っても、現代人も「面白い」と感じる話ばかりなんです。
今回は、どなたでも落語が身近に感じる古典落語を5つ紹介したいと思います。
芝浜
夫婦の愛情を暖かく描いた屈指の人情噺として、有名です。
話の内容から大晦日に演じられることが多い演目です。
内容は、腕はいいが酒好きで働かず、仕事でも失敗ばかりの魚屋が海辺で財布を見つけます。
拾って開けてみると、そこには大金が入っていました。
魚屋はさっそく仲間を呼んで大酒を呑んでしまいます。
翌朝妻からこんなに呑んで支払いはどうするのか、と怒られますが魚屋は拾った財布があるから大丈夫と言います。
しかし、妻からそんな財布は知らない。
夢をみたのだろうと言われてしまいます。
家中をさがしますが、どこにもなく夢だったのかと諦め、一念発起し断酒し懸命に働きはじめます。
そのおかげで三年もたつとお店を構えるまでになりました。
その年の大晦日のことでした。
魚屋は妻に対し献身を労っていました。
ここで妻は告白し、例の財布を見せました。
十両盗むと大変なのに、横領などということになれば死刑は免れません。
そこで、魚屋が泥酔したことに乗じて、財布は最初から拾ってないと嘘をつくことにしましたと告白しました。
事実を知った魚屋でしたが妻を責めるず、立ち直らせてくれた妻へ強く感謝します。
妻は魚屋の労を労って久しぶりに酒でもとすすめるが、また夢になるといけないといって断る魚屋という人情噺です。
饅頭こわい
饅頭こわい、とは、古典落語の中でも特に有名なもので、東京の落語家の中では若手の訓練のためによく使用される演目です。
若者数人で暇を持てあまして雑談をしていると、「こわいもの」についての話となります。
クモ、ヘビ、など一般的なこわいものを挙げる中、1人の若者は怖いものはない、と強がります。
他の若者が更に問い詰めると、実は饅頭が怖いと打ち明けます。
それなら、饅頭で怖がらせてやろうと様々な饅頭を持ちより、若者の部屋へおいておきます。
しかし実は饅頭が何よりも好物だった若者は、怖い怖いと言いながら、何かと理由を付け、全ての饅頭をたいらげてしまいます。
そこで、騙されたと気がついた他の若者たちは、本当は何が怖いのかと詰め寄ります。
そして、最後に若者は「濃いお茶が1杯怖い」と言うのです。
饅頭の名前を詳しく描写したり、饅頭が怖い理由に様々なバリエーションがありますが、シンプルな話です。
そして何より、饅頭が無性に食べたくなる演目です。
お聞きになった事の無い方は、落語への入門として一度聴いてみる事をお勧めします。
明烏
古典落語の「明烏」というお話は、初心で純情堅物な若旦那を吉原へ連れ出すというお話です。
跡継ぎとしての息子を心配する父親が遊び人の2人に頼み、若旦那をだまして吉原へと連れて行きます。
吉原へ到着し、ようやく女部屋だと気が付いた若旦那は、「嫌だ」と泣いて駄々をこねます。
それをなだめるため、2人は「このまま帰れば、大門で怪しまれて止められますよ」と嘘を吐き、その場に留めます。
若旦那の相手を務めるのは、絶世の美女と評判の浦里です。
「そんなに初々しい人なら、相手をしてみたい」と申し出たのです。
若旦那ばかりもてはやされて面白くないのは、あとの2人です。
甘納豆をやけ食いします。
次の日の朝、そろそろ帰ろうと若旦那を起こします。
しかし、若旦那は帰りたくない様子で、「花魁が帰って欲しくないみたいで、手を握るんだ」とノロケ話を始めます。
2人は堪らなくなり、「それじゃあ、坊ちゃん、私たちは先に帰りますよ」と若旦那を置いて帰ろうとします。
これに対して、若旦那は「先へ帰れるなら帰りなさい。
ただし、大門で止められますがね」と告げました。
猫の皿
古典落語の「猫の皿」は、古美術商が旅先の茶店の店主をだまして高級な茶碗を手に入れようとするが、逆に店主にしてやられる、というお話です。
江戸の古美術商が、旅先の地方の茶店で一休みしていると、その茶店で飼われている猫が、とても高級な柿右衛門の茶碗で餌を食べているのを目にします。
ここの店主はきっとその茶碗の価値を知らないで猫の餌用の茶碗にしているのだ、と思った古美術商は、その茶碗がどうしても欲しくなりました。
しかし、その茶碗の価値が店主に知れたならきっと茶碗を売ってはくれないと思い、猫をかわいがり、自分は猫が好きだからぜひこの猫を二両で引き取りたい、と申し出ます。
そして、茶碗が変わると餌が食べにくいだろうから、ついでにこの茶碗も引き取りたい、と申し出ます。
猫は二両で買うことができましたが、店主はこの茶碗はあげられない、と言います。
店主は、ご存知ないでしょうがこれは柿右衛門の名品ですから、と言います。
店主は茶碗の価値を知りながら猫の餌用の茶碗にしていたのです。
古美術商は、知っているならどうしてそんな高級なものを猫の茶碗にするんだい?と聞きます。
店主「この茶碗で餌をやっていると、ときどき猫が二両で売れるんです」
粗忽長屋
粗忽者とは、そそっかしい人、おちょこちょいな人のことです。
この古典落語「粗忽長屋」は、長屋に住むそそっかしい二人、八五郎と熊五郎のお話です。
ある日、八五郎が浅草観音詣でに出かけると、道端に人だかりができています。
見ると、昨晩行き倒れた身元不明の死人です。
八五郎は、一目見るなり、この死人が今朝具合が悪いと言っていた友人の熊五郎だと言います。
まわりの人が、行き倒れは昨晩のことだから、今朝会っている熊五郎のはずがないと諭すのですが、八五郎は聞く耳を持たず、長屋へ戻って熊五郎に「浅草寺近くでお前さんが死んでいたよ」と伝えます。
熊五郎は当然「おれは生きている」と反論するのですが、八五郎に「お前さんは粗忽者だから自分が死んだこともわからないのだ」言われるうちに、自分は死んだのかなと思いだします。
熊五郎は八五郎に付き添われて、自分の死体の引き取りに行きます。
浅草観音に着いて死体を見た熊五郎は「これは自分の死体だ」とまわりの人が止めるのも聞かず、八五郎といっしょにその死体を持って帰ろうとします。
「抱かれているのは俺だが、抱いてる俺はいったい誰だろう」熊五郎のつぶやきで終わるサゲが秀逸です。
まとめ
いかがでしたか?
難しいと思ってた落語が、身近な存在になったと思います。
現在、東京には「新宿末廣亭」「浅草演芸ホール」「鈴本演芸場」「池袋演芸場」といった4つの定席があります。
自分の好きな古典落語、自分の好きな噺家さん、実際に足を運んで探してみるのは如何でしょうか?